父の事・母の事 父は六男一女の次男として生れたが私の叔父に当たる、父の兄は
大東亜戦争でスマトラに行きマラリアにかかってしまった。 それ以来、父は農家である実家の後を継ぎ60歳まで農業を営んでいましたが、 父は48歳で神経難病でもあるパーキンソンになってしまいました。 パーキンソンと云う病気を持ちながら肉体労働を続けるのは今思えば 大変な苦痛も伴っていた事と思います。 若い頃は、恥ずかしい事にそんな父の姿がみえませんでした。 なんて、親不孝なんでしょうね。 今頃、仏壇に向かってごめんね…と手を合わせる自分自身もまた神経の難病に掛かっています。 不思議と父の血を受け継いだのかな~落ち込みもせず前向きに生きている自分自身もまた 父の性格に実に良く似ていると思う。 そんな父と母の出逢いは、親同士が決めた結婚で…昔の事ですから、そうなんでしょうね… 今だったらありえない話ですが母は自分の結婚式の当日 どの人が自分の旦那様に成る人か解らなかったそうです。 式の翌日から農作業が始まり、仕事を終えて家に入ると、男兄弟の多い大家族だったから、 おひつが何時もカラッポだったと… そして一度だけ、泥棒をしたと言います。 それは祖母の出掛ける姿を見た時、畑仕事をしていた所から、ふきの葉をもって急いで家の中に入り ふきの葉一杯の御飯をおひつから盗んだと云うのです。 その時の御飯の美味しかった事は一生忘れられないと… 私が小学校2年生の時に母は甲状腺癌を発病、その後も再発を繰り返し長い闘病生活と戦っていました。 その頃の私の記憶は、病院の手術室前の暗い廊下で親戚の人達と長い間待っていた事、 親戚に預けられての生活。 ただそれだけなんですね・・・ 母は手術室のドアが開き、手術の中断を進められたけれど父は手術の続行をお願いしたようです。 11時間という長い手術の中で、家族が皆食事に出掛けていて決断しかねたとも聴いていますが… 大家族で貧乏、そんな中での発病で母は病院の薬の実験台になったといいます。 当時それが最新の特効薬の投与となって今の母がいるのですから、貧乏も役にたったんですね。 そしてその貧乏が何時まで続いたのか…私はお金の苦労をしらないでこの年にいたっています。 キット、親は子供に見せなかったんでしょうね・・・頭が上がりません。 そして、その母は現在癌を克服し79歳になっています。 後遺症は有るけれど、母はその時のお医者様を神様だと今も語っています。 母は御花に囲まれた三途の川を渡り、気持ちが凄く良くなった…時、 行ってはダメ!と強い引っ張る力を感じたと言います。 そんな事、有るのかな…と思う人も多いと思うけれど、私はその強い力の存在を信じます。 現に手術室のドアが開いた母がこの世に存在しているのですから… 苦労をした働き物の両親の晩年は、これもまた素晴らしい仲の良い幸せな夫婦だったと思います。 60歳から70歳までの10年間を父と母は、旅行をし続けました。 そのアルバムは30冊を越えています。 今は、貧乏でもキット幸せにしてやると父は母にいったそうですが、 見事に約束を果たした立派な父を私は尊敬しています。 その父も10年間と云う長い病院のベットの上での闘病生活の末2005年10月20日、 父とお別れをしました。 最後の一年間は、とても苦しく辛い闘病生活でした。 『父さん、もう良いんだよ…頑張らなくても良いんだよ。』 『もう楽になって良いんだよ。』 そんな思いで、毎日病院に足を運びました。 寂しいけれど、悲しいけれど、楽にしてあげたかった。 最後は、『ヤット楽になれて良かったね。』と言葉に出たほど、父は穏やかで優しく眠って居るような顔でした。 そんな父と約束をしています。 父は自分が倒れた後、私が困らないようにと、机の引き出しの中に農業の事など無知な私でも解るように 事細かく書かれたノートがあり、何処に行けば何が出来ると一目瞭然の丁寧な書置きでした。 そしてそのノートの最後に有ったのは最初に述べた父の兄の事でした。 今現在が有るのは叔父が居たから、だから叔父を最後まで頼む・・・母さん頼むでした。 私は父亡き後、叔父の住民票を我が家に移し 戦争から戻ってからただの一度も社会生活をした事の無い叔父の後見人になる事を約束しました。 そして、それを認め支えてくれた主人も素晴らしい私の後見人です。 今を支えて居てくれる主人に感謝をしています。 母と叔父の面倒を、介護を必要とする身になって約束果たせるかな~ 頑張らなければ…父が頑張った様に… 今出来る事、歩ける内に母に楽しい想い出を…叔父には大好きなオヤツを届ける事・・・ そして自分自身の現状を保つ事… 子供のころから忍耐強くコツコツと無心に働く父の背中をみてきまた。 それは子供の目からみて、誇れる父の姿でした。 その父との約束を頑張って果たしたい そんな思いが、私を強くしているのかもしれません。 もっと、もっと、強くなりたい・・・ 2006年5月記 |
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